鷹野隆大さんのエッセーで記録を想う

今日、4月30日の日経新聞の 文化 は、
鷹野隆大さん(写真家)の
ぼんやりとした未来の話 というエッセーでした。

その中で、
「記録」は過去との結びつきでイメージされることが多い。ですが
鷹野さんからすると「記録」は未来に向けられた行為。とのこと。

将来必要になるときに備えて「今」を記録するもの。

未来の自分が求めそうなものを予測して撮影する。
でも
その予想は大概外れ、「今」と「未来」が合致することは滅多にないそうです。
別な興味で「記録」が拾われる可能性が高い。とのこと。

予測したこととは違う
思いもしないことで写真が見られる。

(怒られそうですが)
自分ごとで考えると・・・

メモ、予定の記録、データ制作(BiNDup、PDF、コード)の手順の記録
トラブルの回避策の記録、教訓の記録、
など、
未来の自分に向けて、困ることがないようにするための記録です。

別な興味で「記録」が拾われるとしたら
このブログぐらいでしょうか・・・

たまにお客さんから言われるのは・・・

ブログを読んで、
なんとなく人柄がわかり
連絡しました。

ブログを書いている私からすると
思いもしないことです。

アンコール・ワットの遺跡の
森本右近太夫一房の落書きではないですけど・・・
(落書きはダメですけど)

記録 ってロマンを感じます。

例えば、未来の
西暦3000年の人が
2023年4月30日のこのブログを読む。とか・・・

どんなことから
このブログにたどり着いたのかとか。

西暦3000年の人は、何を思うのだろうかとか